ランニングをしていると、普段は考えないような深いことまで、
考えを巡らせてしまうことはありませんか?
「今日は気分がいいな!」と思えば、次の瞬間にはズドーンと落ち込んだり。
まるでジェットコースターのように、精神が浮き沈みする。
こんにちは。Tomoyaです。
正直に言うと、私はランニング中に「精神不安」に近い状態になることがあります。
なんでこんな辛いことしてるんだ? 意味あるのか?
他の人はもっと楽しそうなのに…
いや、目的があるじゃないか! これで成長できる!
よし、新しいアイデアも浮かんだぞ!
この、天使と悪魔が交互に現れるような感覚。 「私、情緒不安定なのかな?」と不安に思うかもしれません。
しかし、私は最近こう結論づけました。
「この浮き沈みの時間こそが、私たちが成長するために不可欠な『自分との会議』なのだ」と。
今日は、現代人が無意識に避けている「静かな時間」の価値についてお話しします。
1. 走ると現れる「ネガティブ」と「ポジティブ」の波
走り始めると、思考のストッパーが外れ、様々な感情が溢れ出してきます。
私の頭の中は、大体こんな感じです。
😈 襲いかかるネガティブ
😇 湧き上がるポジティブ
- 無意味感:
「決めた目標を見失い、
走っている自分が馬鹿らしく感じる」- 自己防衛:
「辛い思いをしてまで続ける必要ある?
(やらない理由探し)」- 自己嫌悪:
「他人や過去の自分と比べ、
今の不甲斐なさに落ち込む」
- 期待感:
「今日も時間を作れた!頑張ろう」
肯定感:「みんなも頑張ってる。自分もその一部だ」
創造性:「あ、ブログのネタ思いついた!
ビジネスのアイデアも!」
この激しい往復。疲れますよね。
でも、これこそが「脳がフル回転で自分の現状と向き合っている証拠」なのです。
2. なぜ、私たちは「静かな時間」を恐れるのか?
普段の生活で、ここまで深く思い悩むことは少ないはずです。
なぜなら、私たちは無意識に「心の声に蓋(ふた)」をしているからです。
- ショート動画、YouTube、SNS、音楽、テレビ、ラジオ…。
- 私たちは、時間ができるとすぐにスマホを手に取り、誰かが作ったコンテンツで脳を埋め尽くします。
そうすれば、何も考えなくていい。 楽しくて、時間が消費でき、飽きない。
何より、「将来への不安」や「自分の嫌な部分」と向き合わなくて済むから、精神は安定します。
読書や単調な作業、そしてランニングのような「静かな時間」を嫌い、
常に何かを視聴していたくなるのは、自分と向き合う「精神的な揺らぎ」を恐れているからではないでしょうか。
3. 「揺らぎ」こそが、成長の種になる
この「蓋をする」心理は、今後もなくならないでしょう。エンタメは素晴らしいし、私も大好きです。
しかし、1日のうちほんの少し、ランニングの時だけでも「静かな時間(蓋を開ける時間)」を持つことは、
決して悪いことではないと思います。
むしろ、その精神的な浮き沈みの中でこそ、
私たちは「自己解決」という成長を遂げることができます。
ランニング中の脳内会議
「あんなこと言われた…悔しい」
「将来が不安だ…」
(まずはネガティブな感情を認め、蓋を開ける)
「いや待てよ。悔しいけど、これは成長の糧になるんじゃないか?」
「将来が不安なのは、現状から急に変わろうとしてるからだ。一歩ずつでいいじゃないか」
「そもそも何で走ってるんだっけ? そうだ、理想の自分になるためだ!」
「よし、明日はこうしてみよう」
このように、もやもやした感情を、誰の力も借りず、自分の足で走りながら咀嚼(そしゃく)し、消化していく。
これこそが「主体性のある時間」であり
他人のコンテンツを消費しているだけでは得られない、真の精神安定剤だと私は気づきました。
まとめ:その「悩み」は、前に進んでいる証拠
- ランニング中の情緒不安定は、自分と向き合っている証拠。
- 現代人はエンタメで「心の声」に蓋をしがち。
- 「静かな時間」にあえて身を置き、浮き沈みすることで、思考は整理され成長する。
もしあなたが、走りながら色々なことを考えて辛くなったり、バカバカしくなったりしても、自分を責めないでください。
それはあなたが、スマホの画面ではなく、「自分の人生」を真剣に見つめている何よりの証拠です。
蓋をして見向きもしなければ、悩みもしないけれど、成長もしない。
あえてその「面倒くさい時間」に飛び込むあなたを、私は素晴らしいと思います。
次のランニングでは、あえてイヤホンを外し、自分自身との「熱い会議」を楽しんでみませんか?






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