
【プロローグ】結論から言おう。ランニングなんて、別に必要ない。
いきなりこんなことを言って、世の中のランナーを敵に回す覚悟はできている。
ランニングなんて、別にやらなくても生きていける。
痩せたいなら食事制限と筋トレの方が効率的だし、健康維持なら他のスポーツでも、なんなら毎日少し長めに歩くだけでもいい。
「じゃあ、なんでお前は偉そうにランニングブログなんて書いてるんだ?」 そう思っただろうか。
僕も、心の底からランニングが嫌いだった。体育の授業で延々と走らされ、ただ苦しいだけの時間を「地獄」と呼んでいた。
だから、あなたの「走りたくない」という気持ちは、痛いほど分かる。
それでも、僕は今日も走り続ける。
それは、ランニングが「必要」だからじゃない。
他の何にも代えがたい、究極に「効率的な自己投資」だと気づいてしまったからだ。
もし、あなたが「ランニングなんて意味ない」と少しでも感じているなら、もう少しだけ、僕の独り言に付き合ってほしい。
第1章:なぜ僕たちは、あれほどランニングが嫌いなのか?
そもそも、なぜランニングはここまで嫌われる運命にあるのか。
答えはシンプルだ。
僕たちの多くが、人生で初めて出会うランニングが「強制された、苦痛だけの時間」だからだ。
学生時代の持久走。 部活動の「とりあえず走り込み」。
誰かに決められたペースで、目的も分からず走らされる。あれはスポーツではない。もはや罰ゲームだ。
そんな原体験があるのだから、大人になって「ランニング推奨派」に出会うと、悪魔の囁きのように聞こえてしまうのも無理はない。

どうせ辛いだけでしょ?もっと楽しい運動あるし。



その気持ち、痛いほど分かるよ。
でも、自分の意志で、自分のペースで走る世界は、全くの別物なんだ。
さらに、現代の「タイパ(タイムパフォーマンス)」重視の風潮が追い打ちをかける。
「ランニングは痩せない」「効率が悪い」 そんな声が大きくなるのも当然だ。
そして、その風潮を決定的にしたのが、あのダルビッシュ有選手の「走り込みは良くない」という発言だ。
第2章:「ランニング不要論」を一度、バラバラにしてみる
巷に溢れる不要論。しかし、その多くは一部分だけを切り取った、少し解像度の低い意見だ。一度、冷静に解体してみよう。
Case1:ダルビッシュ選手の「走り込み不要論」の真相
彼の発言は「野球のトップアスリートが、思考停止で長時間走り続ける練習は、パフォーマンス向上に繋がらない」という意味だ。
彼自身も、ウォーミングアップやコンディショニングとしての有酸素運動は肯定している。
これを「一般人の健康のためのランニングは全て無意味」と捉えるのは、あまりにも拡大解釈すぎる。
Case2:「ランニングは痩せない」という主張
これは半分ホントで、半分ウソだ。 ダイエットの主役は、紛れもなく「食事」だ。食事管理なしに、ただ走るだけで痩せようとするのは、穴の空いたバケツで水を運ぶようなもの。
しかし、食事管理という主役を最高に輝かせる「名脇役」がランニングだ。
脂肪燃焼のブースト、代謝アップ、そして何より「運動したから、食事も頑張ろう」という精神的な相乗効果。
ランニングは、ダイエットという舞台に欠かせない、最高の助演男優賞なのだ。
第3章:なぜ僕は「必要ない」と言いながら、走り続けるのか?
さて、ここからが本題だ。 必須でもない。主役でもない。 そんなランニングに、僕がなぜここまで魅了されているのか。
それは、ランニングが「身体・頭・心」を同時に鍛えられる、究極のコスパを誇る自己投資だからだ。
- 身体への投資:コスパ最強の全身運動
-
特別な器具も、場所も、相手もいらない。
シューズ一足あれば、全身の筋肉と心肺機能を鍛え、汗と共に老廃物を流し去る。年齢と共に衰える全ての機能に抗う、最高のアンチエイジングでもある。
- 頭への投資:動く瞑想
-
走りながら、今日あったこと、仕事の課題、将来の夢を考える。
不思議と、デスクで唸っている時には出てこないアイデアが浮かんだり、悩みの本質が見えたりする。これは、脳が活性化し、余計な思考が削ぎ落とされる動く瞑想だ。
- 心への投資:自己肯定感の育成
-
「今日は走りたくないな…」そう思う自分に打ち勝ち、一歩を踏み出す。
走り終えた後の、小さな達成感。これを繰り返すうちに、「自分は、やればできる」という確固たる自信が育っていく。
これは、他の誰でもない、己との闘いに勝利することでしか得られない感覚だ。
【最終章】”意味”さえあれば、人は走れる。
それでも、ランニングは孤独なスポーツだ。
だからこそ、継続するには、あなただけの「走る意味」が必要になる。
「フルマラソンで4時間を切りたい」 そんな立派な目標でなくてもいい。
「考え事をするための、一人の時間が欲しい」
「一日の終わりに、ビールを最高に美味しく飲むため」
どんなに個人的で、些細なことでもいい。 あなただけの「意味」というエンジンさえ見つかれば、ランニングは「苦行」から「目的を達成するための手段」へと変わる。
さて、あなたは、何のために走りたいだろうか?
もし、この記事を読んで、あなたの心が少しでもザワついたなら。 その「意味」を探す旅に出てみる価値はあるかもしれない。
彼らはそれでも走り続ける
その最初の一歩の踏み出し方は、僕がここでナビゲートしよう。 いつ走るか、何を着るか、どんな音楽を聴くか。全てが、あなたの「意味」に繋がっている。










コメント