今日は不思議な気持ちで走り出した。
朝、ニュースでロシア・カムチャッカ半島での大規模地震のことを知り、東日本大震災の記憶がふとよみがえった。あのときの津波の映像、音、空気の重さ——すべてが体に染みついているのだと改めて感じる。
ランニング中、地球が本気を出したら簡単に飲み込まれてしまうのだろうと、怖くなった。自然は美しくもあり、時にあまりにも無慈悲だ。
走りながら思ったのは、「備える」ということの意味だった。
体力をつけることも、防災リュックを準備することも、心の準備もすべて『備え』なのだと思う。ランニングもそのひとつ。走ることで、自分の心と体を整える。冷静さを保つ力や、どんな状況でも一歩を踏み出せる体力は、災害時にもきっと役に立つ。
もちろん、全てを予測し、全てに備えることはできない。でも、無力さを嘆くのではなく、いまできることをやるしかないのだろう。ランニングはその象徴みたいなものだ。先が見えなくても、とりあえず一歩ずつ進んでいけば、景色は少しずつ変わる。
「神のみぞ知る」未来だからこそ、自分の足で今日を走る。
その思いを胸に、今日も一歩一歩を噛みしめながら走った。
「神のみぞ知る」
ソクラテス
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