あれほどまでに研ぎ澄まされていた感覚が、嘘のように鈍っていく。
大会が終わり、張り詰めていた糸が切れた途端、明らかに体の「状態」が落ちている。
あなたにも、そんな経験はありませんか?

こんにちは。Tomoyaです。 つい先日まで、食事に気を使い、トレーニングの質を高め、体は日に日に仕上がっていく。
明確な「目的」があるからか、不思議と力が湧いてくる感覚がありました。
しかし、ゴールテープを切った瞬間、その「目的」は達成され、消えてしまう。
これは、よく言われる「燃え尽き症候群」なのでしょうか?
これは「燃え尽き」ではなく「喪失」だ
燃え尽き症候群って、もう走るのが嫌になっちゃうことだと思ってた…。走りたい気持ちはあるのに、体がついてこない感じ…
その感覚、痛いほどわかります。私も、走ることから離れたいわけじゃない。
ただ、あの『最高の状態』が失われていくことに、強い焦りと虚しさを感じているんです。
これは、生活の「力の入れ具合」の変化。
そして、この虚無感を埋める最も簡単な方法は、矢継ぎ早に「次の目的(レース)」を入れることでしょう。
人間は、目的を持つことで成長を実感し、それが楽しくて次の目的を設定する…という「好循環」で活力を生み出す生き物です。
しかし、私はあえて、その「簡単な答え」から目をそらし、一つの難問に向き合ってみたいと思います。
「目的(=大会)」がなくても、あの最高の状態を維持し続けることはできるのか?
この問いは、次の目標に向かうことより、遥かに難しい、と私は感じています。
なぜ、そこまでして「状態」を維持したいのか?
「別にいいじゃないか、少し休めば」
「趣味なんだから、目的がないなら楽に走ればいい」
そんな声が聞こえてきそうです。 もちろん、それも正しい。
しかし、私が「状態の維持」にこだわるのには、明確な理由があります。
それは、「自身の基盤(デフォルト)を作り直すこと」に繋がっていると考えるからです。
「基礎問題」と「応用問題」 何の準備もしていない状態から、いきなり「応用問題(=レース本番)」を解くのは至難の業です。
しかし、日頃から「基礎問題(=高いレベルでの状態維持)」を解く習慣がついていれば、時間はかかっても、必ず応用問題は解ける。
私にとってランニングとは、「いつでも動ける体力の基盤」を作り、維持する行為。
それが何歳になったとしても、高い基盤さえあれば、また別の大会に出ることも、新しいスポーツに挑戦することも可能になると信じているのです。
私が向き合う「真の難問」
そして、このテーマの最も奥深く、難しいポイントがこれです。
大会に向けて作り上げた「あの最高の状態」を、
一過性のものとせず、自分の「新たな基盤(デフォルト)」として定着させ、維持できるのか?
これこそが、私が今、実験している最大のテーマです。
それは、準備期間中に徹底していた食事、トレーニング、ストレッチ、走る前後のケア…そのすべてを「日常」として継続する、ということです。

「一般人」の壁と、私のささやかな実験
しかし、言うは易し。 私たちはプロのアスリートではありません。
仕事、趣味、家事、育児…限られた時間(リソース)の中で、どこまでストイックな生活を「デフォルト」にできるのか。
準備期間中だから、とリソースを全振りできた生活を、平時に続けるのは無理が生じます。
- 時間: ストレッチやケアの時間を毎日確保するのは大変。
- 効率: レース前ほど効率的に物事を進められない。
- 精神: 「目的」がないのに、なぜここまで?という葛藤。
そこで私は、すべてを完璧に維持するのではなく、「支障のない範囲」で日常に組み込む実験をしています。
- 食事: できるだけ準備期間中と同じ内容(高たんぱく・低脂質・良質な炭水化物)を基本にする。
- トレーニング: 週に一度だけでも、出力を上げて「基盤」に刺激を入れるランニングを行う。
- ケア(効率化): ストレッチは「それだけ」の時間を取らず、動画鑑賞や音楽を聴く「娯楽」と並行して行い、習慣化する。
あなたはどう「維持」していますか?
この「状態維持」という難問に、明確な答えはまだありません。
「目的」に依存して強くなるのは、ある意味で「簡単」です。
⇒本当に難しいのは、「目的」なき平時において、どれだけ自分の「基盤」を高め、維持し続けられるか。
私は、この地道な「維持」こそが、次のステージへ進むための、最も大事な一歩だと信じています。
最後に、これを読んでくださった「あなた」に問いかけたい。
あなたは、大会が終わった後の「最高の状態」を、どうやって維持していますか?
あるいは、維持することを諦め、何に重きを置いていますか?
もしよろしければ、あなたの工夫や考えを、コメントで教えていただけませんか?
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